水俣病問題につき,認定基準を改め,すべての被害者を水俣病患者と認めて救済することを求める決議
水俣病は1956年(昭和31年)5月に公式発見され,現在まで57年もの月日が流れている。水俣病問題は,高度経済成長における負の側面ともいうべき問題であり,極めて重要な人権問題でもある。
「公害健康被害の補償等に関する法律」(以下「公健法」という。)に基づく現行の水俣病の行政認定業務は,いわゆる昭和52年判断条件に従って行われている。この昭和52年判断条件は,感覚障害だけでなく2つ以上の症候の組み合わせを要求するなど基準が厳格に過ぎ,水俣病の認定申請をしてもほとんど認定されないことから,多数の水俣病患者は長年にわたって司法に損害賠償請求訴訟という形で救済を求めてきた。しかしながら,水俣病患者の高齢化が進み,司法救済には多大の時間と労力が要求されることから,水俣病患者の早期の救済を求める声も強まった。このような状況の中で,加害企業チッソや行政側でも,水俣病の法的責任をあいまいにしたまま,1995年(平成7年)の政治解決策や「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(以下「特措法」という。)による救済措置を講じてきた。水俣病患者の多くはこれらの解決策の対象とされ,特措法の申請も2012年(平成24年)7月31日をもって打ち切られ,水俣病問題は収束されようとしてきた。
ところが,公健法上の水俣病について認定申請を棄却された患者が司法に対して水俣病と認定するように求めた,いわゆる水俣病認定申請義務付け訴訟において,本年4月16日,最高裁判所は感覚障害の一症候であっても,総合的判断により公健法での水俣病患者と認定することができることをあきらかにした。にもかかわらず,国は,公健法に基づく水俣病認定基準である昭和52年判断条件が,いわゆる「症候の組み合わせ」を要求していることについて,最高裁は「一定の合理性を有する」ことを認めているとして,昭和52年判断条件自体は否定していないし,昭和52年判断条件に基づくこれまでの認定の運用にも問題がなかったかのように表明し,水俣病認定基準は改定しない旨表明した。
しかしながら,昭和52年判断条件に基づく行政認定基準によって認定を棄却した患者を最高裁判所が司法認定したということは水俣病の認定基準である昭和52年判断条件は実質的には否定されたものと言わざるを得ない。
そこで,当連合会は,水俣病問題について,今回の最高裁判決を踏まえた抜本的解決を図るために,以下の措置を執ることを求める。
1 国に対して,
(1)昭和52年判断条件を改定し,現行の症候の組合せを要求する基準を撤廃して,感覚障害のみの一症候であっても,居住歴や魚介類の摂食状況などといった諸条件を踏まえて,総合的に考慮して水俣病と認定するという基準に改めること。
(2)水俣病の認定補償制度については,すべての水俣病被害者を対象とし,公健法上の認定補償制度に基づいた一元的な救済システムに改定すること。
(3)認定基準の策定や認定方法等について今後検討を行うために,これまでの水俣病認定業務のあり方について検証するための公平な第三者委員会としての検証委員会を設置すること。
2 国及び熊本県,鹿児島県に対して,
(1)迅速かつ適正に認定作業を行うことができるようにするために,認定審査会の委員を人数の上でも,質的にも充実化させること。具体的には委員の構成に関しては,医師の委員だけでなく,弁護士や,社会科学系の学識経験者,社会福祉士等の福祉の専門家も委員に追加して,前記最高裁判決が求める認定ができるような体制と改めること。認定審査会の資料としても主治医である民間の医師の診断書を活用するように改めること。
(2)不知火海沿岸全域の住民に対する健康調査及び居住歴,魚介類の摂食状況,家族の認定申請の有無等に関する実態調査を実施すること。
2013年10月25日
九州弁護士会連合会
提 案 理 由
1 2013年4月16日水俣病認定申請義務付け訴訟最高裁判決
水俣病は1956年(昭和31年)5月に公式発見され,現在まで57年もの月日が流れている。水俣病問題は,高度経済成長における負の側面ともいうべき問題であり,極めて重要な人権問題でもある。
公健法に基づく現行の水俣病の行政認定業務は,昭和52年判断条件に従って行われている。この昭和52年判断条件では水俣病と認められるためには症候の組み合わせが要求され,(1)感覚障害+運動失調,(2)感覚障害+運動失調(疑い)+平衡機能障害(または求心性視野狭窄),(3)感覚障害+求心性視野狭窄+中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候,(4)感覚障害+運動失調(疑い)+その他の症候が必要であるとされている。そして,このように感覚障害だけでなく2つ以上の複数の症候の組み合わせを要求されるため,その基準が厳格に過ぎ,水俣病の認定申請をしてもほとんど認定されないことから,多数の水俣病患者は長年にわたって司法に損害賠償請求訴訟という形で救済を求めてきた。しかしながら,水俣病患者の高齢化が進み,司法救済には多大の時間と労力が要求されることから,水俣病患者の早期の救済を求める声も強まった。このような状況の中で,加害企業チッソや行政側でも,水俣病の法的責任をあいまいにしたまま,1995年(平成7年)の政治解決策や特措法による救済措置を講じてきた。水俣病患者の多くはこれらの解決策の対象とされ,特措法の申請も2012年(平成24年)7月31日をもって打ち切られ,水俣病問題は収束されようとしてきた。
ところが,公健法上の水俣病について認定申請を棄却された患者が司法に対して水俣病と認定するように求めた,いわゆる水俣病認定申請義務付け訴訟において,本年4月16日,最高裁判所は感覚障害の一症候であっても,総合的判断により「公害健康被害の補償等に関する法律」(以下「公健法」という。)での水俣病患者と認定することができることをあきらかにした。にもかかわらず,国は,公健法に基づく水俣病認定基準であるいわゆる昭和52年判断条件がいわゆる「症候の組み合わせ」を要求していることについて,最高裁は「一定の合理性を有する」ことを認めているとして,昭和52年の判断条件自体は否定していないし,昭和52年判断条件に基づくこれまでの認定の運用にも問題がなかったかのように表明し,水俣病認定基準は改定しない旨表明した。
しかしながら,昭和52年判断条件に基づく行政認定基準によって認定を棄却した患者を最高裁判所が司法判断で水俣病患者と認定したということは水俣病の認定基準である昭和52年判断条件は実質的には否定されたと言わざるを得ないものである。
2 昭和52年判断条件の速やかな見直しの必要性
前記最高裁判決は,「多くの申請について迅速かつ適切な判断を行うための基準を定めたものとしてその限度での合理性を有するものであるといえようが,他方で,上記症候の組合せが認められない場合についても,経験則に照らして諸般の事情と関係証拠を総合的に検討した上で,個々の具体的な症候と原因物質との間の個別的な因果関係の有無等に係る個別具体的な判断により水俣病と認定する余地を排除するものとはいえないというべきである。」と判示して,「症候の組合せが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病」を認めた。
ところが,環境省事務次官は,最高裁判決のいう「限度付き合理性」の趣旨を曲解して,最高裁判決は昭和52年判断条件を否定していない,として認定基準の見直しは行わないと述べている。
しかし,前記最高裁判決は,行政認定制度のもとでは水俣病とは認定されずに棄却された患者について,司法判断として水俣病と認めたものであるから,昭和52年判断条件は否定されたと言わざるを得ないものである。
また,「多数の申請について迅速かつ適切な処理をするために,個々の因果関係について証明できなくても症候の組合せがあれば水俣病と認定する」というのは一見合理性を有するようにも見える。しかし,実際の水俣病認定業務では,多大な時間をかけて,ときには10年以上もの長期間保留にした例も少なくないし,症候の組み合わせを要求する厳しい条件が壁となって棄却した例がほとんどである。複数の症候の組合せは,幅広い早期の救済に役立っているとは到底言えないばかりか,認定手続遅延の大きな要因となっているというのが実態である。
前記最高裁判決は「症候の組合せが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病」を認めたのであるから,昭和52年判断条件が「感覚障害のみの水俣病」を認めたものではないと解する以上,昭和52年判断条件は最高裁判決によって実質的には否定されたことになる。
そこで,昭和52年判断条件は決議案第1項(1)のとおりに改められるべきである。
3 一元的な補償救済システム構築の必要性
前記最高裁判決は,水俣病に関して「このような現に生じた発症の機序を内在する客観的事象としての水俣病と異なる内容の疾病を公健法等において水俣病と定めたと解すべき事情はうかがわれない」と述べ,「裁判所において,経験則に照らして個々の事案における諸般の事情と関係証拠を総合的に検討し,個々の具体的な症候と原因物質との間の個別的な因果関係の有無等を審理の対象として,申請者につき水俣病のり患の有無を個別具体的に判断すべきものと解するのが相当である。」と判示している。これは,感覚障害のような一症候だけであっても総合判断により公健法上の水俣病と認め,司法判断で認定するか行政が認定するかを問わず,水俣病は一つであるということを明言したものである。
したがって,これまでの補償体系が,公健法上の水俣病患者とそれ以外の政治解決や特措法の救済措置の対象としての水俣病被害者を区別してその補償の枠組みを二重に設けていたことは,水俣病の救済方法,補償体系としても不適切であると言わざるを得ない。そのため,一元的な救済制度を構築する必要がある。ただ症状の程度に応じて新たなランクを設けて補償すれば足りる。
そこで,前記最高裁判決を契機として,公健法上の認定制度の中に新たなランクの水俣病患者への補償の仕組みを組み込ませて,一元的な補償救済制度に改めるべきである。
4 これまでの水俣病認定業務のあり方に関する検証委員会設置の必要性
(1)環境省事務次官は,前記最高裁判決後,昭和52年判断条件に定める複数症候の組合せがなくても総合検討で患者認定したケースが4例あると指摘して,認定の運用面においても問題はなかった旨述べている。
しかし,環境省事務次官が述べる4例も,前記昭和52年判断条件に定めるとおりの症候の組み合わせの4パターンでいう症候の組合せがなかっただけで,複数症候が認められていた事例であり,感覚障害の他,視野狭窄や平衡機能障害などの3種類以上の症候があった。従って最高裁が求める「総合的な検討」により感覚障害という一症候だけで認定した例ではないと考えられる。
(2)そもそも,前記最高裁判決の事案のように認定のための検診が終了しないまま死亡し,棄却された人は462名いることが判明している。これらの未検診死亡者に関する医学的資料の収集状況と,それに対する認定申請の結果及びその理由を明らかにすることが必要である。
また,これまでの多数の認定申請棄却者の中には一症候ではあっても総合判断により水俣病として認定されたはずの患者が多々存在していたと考えられるのであり,これらの棄却された患者についても,その実態がどのようなものであったのかについて検証の必要がある。
(3)これらの検証については,環境省とは独立した公平な第三者委員会としての検証委員会を設置してなされるべきである。そして,過去の認定審査会の審査において,総合検討により複数症候がなくても感覚障害という一症候のみで水俣病を認定した例が実際に存在していたか否かについて検証し,その検証結果を発表すべきである。
5 認定審査会を人的・質的に充実化させる必要性
また,認定審査会のあり方に関しても,迅速かつ適正に認定業務を行うためには,認定審査会の委員を人数の上でも質的にも充実化させることが必要である。委員の構成に関しては,医師の委員だけでなく,弁護士や社会科学系の学識経験者等も委員に参加させるべきである。また水俣病患者の高齢化にともなう福祉施策の必要性も高く社会福祉士などの福祉の専門家も委員に含ませるべきである。
また,水俣病の患者の診断はこれまで主治医である民間の医師の献身的な努力によって行われてきたのであり,水俣病患者の症状については主治医である民間の医師の診断は最も尊重されるべきである。よって,水俣病認定のための診断書についても主治医である民間の医師の診断書を活用するように改められるべきである。
6 不知火海沿岸全域の住民に対する健康調査等の実態調査の必要性
水俣病の被害の全体像を把握するためには不知火海沿岸全域の住民に対する健康調査及び居住歴や魚介類の摂食状況,家族の認定申請状況等についての実態調査が必要である。
また,特措法による救済措置の対象要件として「居住地域」や「出生年」による制限があるが,水俣病の症状を訴えかつ有機水銀暴露歴があれば,指定地域外に居住していた者や昭和44年以降に出生した者であっても,総合的判断によって水俣病と認定することが可能であり,これを制限する科学的根拠はない。
公式確認されて57年経過しても,なお水俣病問題が解決しない要因の一つに,行政が不知火海沿岸全域を汚染した有機水銀による健康被害の実態について調査を怠ってきたことが挙げられる。環境省は早急に住民の健康調査等の実態調査を実施すべきである。
以上