入院中の精神障がい者の人権救済のための法的援助活動を積極的に推進する決議
我が国において,非自発的入院下にある精神障がい者の権利を等しく保障するために,当連合会,所属各単位会及び所属各弁護士は,全ての精神科病院の入院者が簡易かつ速やかに弁護士にアクセスできる制度を整備し,その制度の実効ある運用のために積極的に行動する。
2012年10月26日
九州弁護士会連合会
提案理由
1 日本の精神障がい者総数(医療機関に入通院している患者総数)は,2002(平成14)年は約258万4000人,2005(平成17)年は約302万8000人,2008(平成20)年は約323万3000人と年々増加し,今や精神疾患は生活習慣病と同じく誰もがかかりうる病気であることに疑問の余地はない。ところが,日本の精神科医療は,未だに精神障がい者に対する隔離政策ともいえる入院中心主義から脱却していない重大な問題を抱えている。
即ち,欧米諸国においては,1950年代から長期在院者の退院促進が政策的に行われ,人口千人当たり精神科病床数は1980年代には1床を下回った。ところが,日本においては,この間欧米諸国とは逆に民間精神科病院の設立が促進され,ピークの1994(平成6)年には同病床数は2.8床に達し,その後減少に転じたが,2009(平成21)年もなお2.7床の水準にある。当然,入院者数も1954(昭和29)年の37,849人から増加の一途をたどり,ピークの1991(平成3)年に349,190人に達し(40年間に9.2倍),その後減少に転じたが,2009(平成21)年も310,738人の水準にある(18年間に11.0%の減少)。厚生労働省は2004(平成16)年に「精神保健医療福祉の改革ビジョン」において初めて「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本方針を策定し,「受け入れ条件が整えば退院可能な入院者約7万人」を10年内に解消する具体的目標を示したが,当時の入院者数326,125人に照らせば,施策の実現が著しく遅滞していることは明らかである。
なお,厚生労働省は7月29日までに,精神疾患患者の医療体制の改革方針をまとめた。これは,精神病床の入院患者のうち1年以上の長期入院者が約65%(約22万人)を占めており,入院長期化の是正や地域社会の生活を可能にするための外来医療や福祉サービスの整備が課題になっていることから,早期に治療し,原則として入院期間を1年以内に抑えられるようにする狙いで,入院初期の患者に対応する医師の数を従来の3倍に増やすほか,退院後の地域での生活を支援する訪問看護などの人材を育成するというものであるが,他方で保護者が同意しない場合でも,医師の判断で入院を可能とする法改正も行うとされており,精神障がい者の権利擁護という観点からは,問題点の多い改革指針となっている。
2 このような日本の精神科医療における入院中心主義からの脱却実現の著しい遅滞のために,多くの精神障がい者に対する不法な身体拘束による人権侵害が構造的に発生し常態化している。確かに上記施策の実現には,退院患者を受け入れる地域社会における環境整備が不可欠である。しかし,上記施策がいつ実現するか不透明な現状が続くならばなおのこと,退院を求めながら入院を余儀なくされている者に対し,法的支援の手を差し伸べなければならない。
もとより1991(平成3)年12月の国連総会決議「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」は,精神疾患を有する患者に対し,能力の補完のため(原則1の6)や,入院に関する審査手続のために(同18)財産がなければ無料で弁護士を利用できる権利を保障している。基本的人権の擁護及び社会正義の実現を目的とする弁護士及び弁護士会が,非自発的入院(措置入院,医療保護入院等の精神保健福祉法上の強制入院だけでなく,同法上,任意入院とされていても本人の意思に反して退院できない患者も実質的な非自発的入院として同様の支援が必要である)下にある精神障がい者の権利擁護のため積極的に行動しなければならないことはいうまでもない。
3 日本弁護士連合会も,日本司法支援センターに対する委託援助事業として「精神障害者に対する法律援助」(以下「本援助制度」という)を平成19年10月の業務開始当初から盛り込んだ。しかし,本援助制度の開始から5年を経過した現在もなお,一部の弁護士会を除いて,その利用は少なく,それは取りも直さず,非自発的入院下にある精神障がい者に対する法的支援が不十分であったことを物語っている。
福岡県弁護士会では,精神科病院における非自発的入院は刑事拘禁と同じ人身の自由に対する制約であるという認識の下,1993(平成5)年7月に精神保健当番弁護士制度を発足させた。制度発足時の当番弁護士名簿の登録者数は122名(福岡県弁護士会の会員総数の25.3%),2012(平成24)年4月時点では319名(同32.3%)に達している。制度の利用申込み件数は,制度の発足当初数年は年間100件程度であったが,2000年頃から多少の増減はありながらも増加傾向が明確となり,2003年度に150件を超え,2007年度に200件,2010年度に300件を超えた。
上記制度の結果,相談活動及び代理人活動の結果申込者の退院や処遇改善などの希望が実現した率は,2009年度は16.3%,2010年度は19.8%,2011年度は20.8%と徐々に増加している。審査請求代理人の受任率も,2009年度は23.7%,2010年度は29.8%,2011年度は32.5%と増加しており,上記統計は,代理人活動により一定の成果があがっていることを示すものとなっている。
そして,申込者の希望が仮に実現しなかった場合においても,弁護士が相談活動等を行うことにより,例えば,保護者の患者の病状に対する理解が深まり患者との関係が改善される,医師と患者の関係が良好となり治療環境の改善に繋がるなどの変化が生じ,結果的に早期退院に繋がるなどの効果があったこと等も報告されている。さらには,弁護士が代理人となって審査請求を行うケースが増えることで,他の入院者にも審査請求制度が周知されるようになり,患者が自分で審査申立てをするケースが増加し,審査会の活性化の一因にもなっている可能性も指摘できる。
具体的な事案例を挙げれば,ある弁護士は,退院を希望する入院患者(医療保護入院)から依頼を受け,精神保健当番弁護士として出動・面会したところ,その入院患者の症状は非常に軽いものと見受けられ,医療保護入院の要件を満たしていないのではないかと感じるほどであったため,同弁護士は直ちに精神医療審査会に対し退院請求を行った。そうしたところ,審査結果において入院形態が任意入院に切り替えられ,ほどなく退院に至った。
この事案は,医療保護入院が相当でないにもかかわらず長期入院生活を余儀なくされた患者が,弁護士の法的支援を得ることにより,不当な身体拘束からの脱却を実現した一例である。
上記事例のように,法的要件を欠く入院が継続されている状況でありながら,退院後の受け入れ先がないなどの理由で入院が継続されているケースは実際に多い。上記事例の入院患者も,もし,弁護士の法的支援が得られなければ,依然として医療保護入院を強いられていたものと思われる。
かように,法的援助を得られないがために不当な入院生活を強いられるといった状態は直ちに除去すべきであり,その点において,入院患者が弁護士にアクセスできる制度を整備することは,必要不可欠なものとなっている。
全ての精神科病院の入院者が簡易かつ速やかに弁護士にアクセスできる制度を整備し,その制度の実効ある運用のために積極的に行動することは,弁護士及び弁護士会の急務といえる。
この点,九弁連単位会では福岡のほかに佐賀及び鹿児島の2単位会が同様の制度を実施しており,他の単位会でも準備中である。また,日弁連全体では,いくつかの単位会が同様の制度を実施しているに過ぎず,まだまだ弁護士会の取り組みは端緒についたばかりである。
4 そこで本決議を採択し,その具体的内容として,以下の行動計画案を提言する。
(1) 各弁護士会は,精神科病院の入院者等から退院・処遇改善の相談申込みがあった場合,原則として数日以内に入院先病院に出張相談に赴き,必要に応じて精神医療審査会への退院・処遇改善請求の代理人活動をすることを中核とする制度(「精神保健当番弁護士制度」。以下「本制度」という)を構築し,本制度に参画する弁護士を登録した精神保健当番弁護士名簿を整備する。
(2) 各弁護士会は,上記名簿の整備に当たっては,参画する弁護士が本制度に基づく活動について,簡便に相談し,支援を受けられるバックアップ体制を構築し,各弁護士は積極的に相談及び代理人活動を行う。
(3) 各弁護士会は,本制度の実施に当たって,名簿の整備と並行して,各県の精神科病院協会及び精神医療審査会(その事務局としての精神保健福祉センター)との間で,本制度に関する意見交換及び協議を重ね,相互理解と協力関係の構築に努める。
(4) 各弁護士会は全ての精神科病院,精神医療審査会,県・市町村その他関係機関,マスコミ等に対し,本制度を広く知らしめるための方策(ステッカー,パンフレットの配布等)を検討する。
(5) 以上を実現するため,九弁連に本制度に関する連絡協議会を設け,各単位会の進捗ないし問題状況について情報交換し,本制度の充実に努める。
以上