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ハンセン病病歴者の家族の被害回復を求める決議

国が1907年から196年まで90年の長きにわたり遂行してきたハンセン病隔離政策は、ハンセン病病歴者とその家族は一般社会から忌避・排斥されるべき存在という偏見差別を形成・維持・強化し続けるものであった。そのため、ハンセン病病歴者とその家族は、人生のあらゆる場面で深刻な偏見差別被害を受け、家族関係が破壊されるなど、人格権や個人の尊厳が冒され、極めて深刻な「人生被害」を受けてきた。

2019年6月28日、500名を超えるハンセン病病歴者の家族が国を被告として提起していた国家賠償請求訴訟において、熊本地方裁判所は、ハンセン病病歴者の家族も隔離政策の被害者であることを正面から認め、厚生労働大臣・法務大臣・文部科学大臣の違法行為(偏見差別除去義務違反)及び国会議員の違法行為(立法不作為)を認めた。そして、隔離政策によって、大多数の者から差別される一種の社会構造が形成・維持・強化され、ハンセン病病歴者の家族は、憲法13条が保障する社会内において平穏に生活する権利(人格権)及び憲法24条が保障する婚姻生活の自由が侵害されたとして、国家賠償法上の違法を認め、ハンセン病病歴者の家族による国家賠償請求を認める判決を下した。政府は、同年7月9日、控訴断念を表明し、同月12日、内閣総理大臣の謝罪談話を発表し、同日、同判決は確定した。

国が遂行してきた憲法違反の隔離政策及び国・地方公共団体が共同して全国津々浦々で展開した「無らい県運動」を通じて、ハンセン病病歴者の家族が長年にわたり社会の中で筆舌に尽くし難い偏見差別を受け続けてきたという人権侵害の重大性に加えて、現在もなお偏見差別が根強く残っていることからすれば、一刻も早く被害回復を図る必要があるため、国は、地方公共団体と共同して、以下の施策を早急に講じるべきである。

(1) ハンセン病病歴者の家族に対し、法的責任を認めて謝罪し、謝罪広告等を通じて全国津々浦々に周知するように名誉回復措置を講じること。

(2) ハンセン病病歴者の家族に対し、必要かつ十分な損害賠償・補償及び経済的支援を行うこと。

(3) ハンセン病に対する根強い偏見差別を除去し、家族関係を回復するため、より積極的かつ継続的な施策を早急に策定し実施すること。

(4) 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」を改正し、明文上、ハンセン病病歴者の家族も明確に被害者と位置づけ、上記(1)ないし(3)の施策を遂行するとともに、政策形成過程に家族の参加を認めること。
当連合会では、これまで、ハンセン病病歴者の人権救済・被害回復のために様々な取組みを行ってきたが、ハンセン病病歴者の家族を対象とする調査・検討や具体的提言などの取組みまでは行ってこなかった。当連合会は、ハンセン病病歴者の家族問題への取組みが遅れたことに対する深い反省を胸に、ハンセン病病歴者はもとより、同家族の方々に対する被害回復、差別偏見除去等の活動に全力で取り組み、ハンセン病問題の全面解決に向けて、今後も一層の努力をしていくことを改めて決意するものである。

2019年(令和元年)10月25日

九州弁護士会連合会

提案理由

第1 当連合会におけるこれまでの取組について

当連合会では、これまで、ハンセン病病歴者の人権救済・被害回復のために「ハンセン病問題に関する決議」(1998年10月30日)、「ハンセン病問題の全面解決を求める決議」(2001年10月26日)、「「菊池事件」について検察官による再審請求を求める理事長声明」(2013年4月30日)、「ハンセン病「特別法廷」と司法の責任に関する決議」(2016年9月23日)などの取組みを行い、弁護士の人権感覚を養う目的で、2017年度からは、ハンセン病療養所「菊池恵楓園」への現地研修会や新人会員への人権研修を毎年実施している。

他方、これまでの間、ハンセン病病歴者の家族の人権救済・被害回復については、ハンセン病病歴者の家族を対象とする被害の調査・検討や具体的提言などの取組みまでは行ってこなかった。

当連合会としては、このように、ハンセン病病歴者の家族問題への取組みが遅れたことを自覚し、深く反省するものである。

第2 ハンセン病家族訴訟・判決確定

日本は1907年から1996年まで約90年間にわたり、ハンセン病患者の絶対隔離絶滅政策(以下「隔離政策」という。)を継続し、憲法違反の隔離政策により、ハンセン病病歴者が極めて甚大な人権侵害を被ったことは、2001年5月11日の熊本地裁違憲判決で明らかとなったが、ハンセン病病歴者の家族の受けた人権侵害は司法上も立法・行政上も被害救済の対象とされてこなかった。

そのため、2016年2月及び3月、ハンセン病病歴者の家族569名(うち8名取下げ)が、熊本地方裁判所に国を被告として国家賠償請求訴訟(以下「家族訴訟」という。)を提起したところ、2019年6月28日、家族訴訟の判決(以下「家族訴訟判決」という。)が下された。

家族訴訟判決では、隔離政策はハンセン病病歴者とその家族を一般社会から忌避・排除すべき存在という「一種の社会構造」を形成・維持・強化し続けたことから、ハンセン病病歴者の家族も、「らい予防法」及び隔離政策の被害者であり、一般社会において偏見差別を受ける地位に置かれ、家族関係の形成を阻害される被害を被ったことを認め、遅くとも1960年には隔離政策の違憲性は明白であったことから、同年以降、2001年の熊本地裁違憲判決までの間、国(厚生省・厚生労働省、法務省及び文部省・文部科学省)には、ハンセン病病歴者の家族に対する偏見差別除去義務違反があったとして、国家賠償法上の違法を認め、また、遅くとも1965年までに「らい予防法」を廃止しなかった国会議員の立法不作為の違憲性も認めて、原告ら541名の国家賠償請求を認容した。

政府は、2019年7月9日、家族訴訟判決に対する控訴断念を表明し、同月12日、「筆舌に尽くし難い経験をした家族の苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない」という内閣総理大臣の談話を発表し、同日、同判決は確定した。

第3 隔離政策における家族被害

1 絶対隔離絶滅政策における家族の地位

日本では、戦前・戦後を通じて、ハンセン病は強烈伝染病であり不治の病として取り扱われ、全ての患者を強制的に収容する「絶対隔離政策」が遂行された。国・地方自治体・国民挙げて全国津々浦々までハンセン病患者を発見して隔離収容する「無らい県運動」が展開される中で、患者が居住していた住居及び家族が常用していた衣類・物件は消毒の対象とされ、「癩患家」は国・都道府県に登録・管理されて、家族も定期検診の対象となり、患者の子どもを「未感染児童」と呼び、ハンセン病療養所附設の保育所に隔離・入所させ、ハンセン病の発病を継続的に観察するなど、家族もいわば「潜在的感染者」として取り扱われてきた。

戦前戦後の隔離政策における強制収容の徹底、無らい県運動等は、ハンセン病は強烈な伝染病であり、隔離が必要な特別な病気であるという誤った社会認識(偏見)に基づく過度の恐怖心を多くの国民に植え付けた。このため、ハンセン病病歴者の家族も感染している可能性が高い存在(潜在的感染者)と受け止められ、ハンセン病病歴者とその家族は、大多数の人々から忌避・排除されるべき存在と見られ、実際、深刻な差別被害を受けてきた。

戦後、特効薬の登場により、ハンセン病が容易に治癒する病気になった後も、長年にわたり隔離政策が継続されたため、ハンセン病病歴者とその家族に対する偏見差別は維持・強化され、現在もなお偏見差別が世代間承継されている。

また、不良な子孫は残さないという優生思想の下、1916年から、法律上の根拠もなく(戦前の国民優生保護法で優生手術の対象とされていなかったにもかかわらず)、ハンセン病療養所内では断種・堕胎手術が行われ、戦後は、ハンセン病が遺伝病ではないにもかかわらず、らい条項を含む優生保護法(1948年)が制定され、1949年から1996年(らい予防法廃止)までの間に、優生手術(断種)1400件以上(男女合計)、人工妊娠中絶手術(堕胎)3000件以上が実施され、まさにハンセン病病歴者の子どもは「生まれてはならない子」という偏見差別を受けてきた。

2 竜田寮(黒髪小学校)事件(1954年)

隔離政策の下、ハンセン病患者の子どもが一般の小学校への通学を拒否される差別事件も起こった。

ハンセン病療養所「菊池恵楓園」(熊本県)附設の児童福祉施設「竜田寮」の児童は、1953年度まで一般の小学校(黒髪小学校)への通学が認められていなかったが、1954年度から通学が認められたところ、校区の町民大会で竜田寮児童の通学に反対する決議が挙げられ、同決議の呼びかけ文には「あなたの子どもを恐ろしい癩の未発病児童と机を並べて、勉強させてよいでしょうか食事を共にさせてよいでしょうか、あなたの子孫はどうなっても構いませんか」と記載されていた。そして1954年4月の入学式当日、竜田寮新1年生4人の通学に反対したPTA会長らの一部保護者が、小学校校門に立ちふさがり、「らい病の子どもと一緒に勉強せぬよう、しばらく学校を休みましょう」等と書かれたポスターを貼り、児童らの登校を阻止するという事態が起き、国会でも問題となった。

3 家族被害の実態
(1) 偏見差別被害

ハンセン病病歴者の家族は、患者収容後に自宅を消毒され、近所から嫌われ避けられて、村八分にされ、地域社会から孤立し、全国で一家心中事件が起こっている。

学校では、「うつる」と言って避けられ、いじめられ、教師からも他の児童から離れた席に座るように指示されるなどして、小中学校から不登校となり、十分な読み書きができない者もいる。

進学・就職の際も、ハンセン病病歴者の家族であることを告知したことにより、進学・就職が拒否された者もいる。

結婚する際も、婚約相手やその両親に、自身がハンセン病病歴者の家族であることを告知したことにより結婚を反対され、婚約破棄された者や、婚姻後に告白したことにより、子どもを作ることを反対され、離婚に至った者もいる。家族訴訟提起後、自らがハンセン病病歴者の家族であることを配偶者に告白したことが原因で、離婚を求められ、離婚に至るという事態も発生している。

ハンセン病病歴者の家族は、周囲から偏見差別を受けないようにするため、現在もなお、自らがハンセン病病歴者の家族であることを親族・知人・職場・地域社会で絶対に明かせない秘密として抱え続け、病歴者である家族は死亡したなどと嘘を付いて、生活をしている者も多い。

家族訴訟の原告561名のうち、ほとんど全員が匿名扱いを希望し、実名を公表しているのは、わずか数名に過ぎない。一旦、原告になったものの、家族に知られるのを恐れて訴えを取り下げた者もいる。原告は、自らの配偶者や子どもにさえも、自らがハンセン病病歴者の家族であることを秘して生活をしている者が多く、その精神的負担は計り知れない。

このように、ハンセン病病歴者の家族は、進学、就職、就労、婚姻、家庭、近隣などあらゆる生活の場面で偏見差別を受ける地位に立たされてきた。

(2) 家族関係被害

ハンセン病患者がハンセン病療養所に隔離されることにより、当該患者と家族との家族関係は物理的に断絶され、親族間の家族関係が破壊される被害も生じた。子どもは親から養育を受け、親は子どもを育てる機会を失い、夫婦間・兄弟姉妹間で相互に扶助・協力する機会を失った。

特に未成年の子どもにとって、父や母が隔離収容された場合には、一家の働き手がいなくなり、貧困に苦しめられた家族も多い。

また、ハンセン病病歴者の家族は、一般社会の中で偏見差別を受けてきた原因は病歴者にあるとして、病歴者を恨み、家族自身も、病歴者が強烈な伝染病患者であるとして恐怖感を抱くなど、家族関係は心理的にも破壊された。一旦、病歴者の隔離によって家族関係が破壊され、地域社会から家族が偏見差別を受けると、たとえ、病歴者がハンセン病療養所を退所しても、家族関係を回復することは極めて困難となる。

ハンセン病病歴者は、過去の入所歴を秘して婚姻し子どもが生まれた後、入所歴を配偶者や子どもに隠し続けるため、「何か秘密を抱えている」と感じる家族が病歴者に対して不信・疑念を持ち、家族関係の形成が心理的に阻害されている者も多い。

現在もなお、ハンセン病病歴者の家族は、故郷・地域社会から排除され、家族内で病歴者との家族関係を回復することが困難な状況にある者も多い。

(3) 小括

このように、ハンセン病病歴者の家族は、人生のあらゆる場面で偏見差別を受け、家族関係が破壊され、社会内で平穏に生活する権利(人格権)及び婚姻生活の自由が侵害されてきたものであり、家族訴訟及び同判決において原告561名の多種多様な「人生被害」として語られている。

2005年3月公表された「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書【別冊】-ハンセン病問題に関する被害実態調査報告-」339頁以下でも、家族の被害聴取から「生活そのものが脅かされる」「学業が脅かされる」「就業を脅かされる」「結婚・結婚生活が脅かされる」「隠して生きていく」しんどさ、「差別を受けた」家族自身が肉親を差別するなどの被害状況が確認されている。

2019年5月18日から20日にかけて「ハンセン病市民学会」が沖縄県の宮古島・石垣島で行われた際も、沖縄県在住のハンセン病病歴者の家族から、沖縄における厳しい偏見・差別被害の大きさが語られていた。

第4 「らい予防法」廃止後の偏見差別の状況

1 啓発活動の不十分さ

国(厚生大臣)は、1996年3月、「らい予防法」を廃止する際、ハンセン病元患者・家族に対し、「らい予防法」廃止が遅れた結果として、多大な苦難を与えたことについてお詫びをしたが、結果責任・道義的責任に留まり、偏見差別除去を除去するための啓発活動はほとんど行われていなかった。

2001年の熊本地裁違憲判決後、政府は控訴を断念して、ハンセン病元患者に謝罪し、ようやく本格的な啓発活動が行われるようになったが、その内容・方法は全く不十分であり、各家庭・職場・地域社会など全国津々浦々に根強く残っている偏見差別を解消するにはほど遠い。

実際、それ以降も、以下のとおり、偏見差別事件が生じている。

2 差別偏見事件
(1) 黒川温泉宿泊拒否事件

2003年、熊本県内でハンセン病療養所菊池恵楓園の入所者が団体でホテルに宿泊しようとしたところ、ホテル側から「他のお客様に迷惑がかかる」という理由で宿泊を拒否されるという黒川温泉宿泊拒否事件が起きた。

その後、ホテル側が謝罪しようとした際、それを受け入れなかった入所者自治会に対し、多数の誹謗中傷の文書などが送られるという事態が生じた。

(2) 公立小学校教員事件

また、2010年から2013年にかけて、福岡県内の公立小学校において、人権教育担当の教諭が「ハンセン病は身体が溶ける病気」という授業を行い、2014年、生徒らが「怖い」「友だちがかかったら離れておきます」という感想文を菊池恵楓園に送付していたという事態が生じた。

(3) 小括

前述のように、家族訴訟提起後にハンセン病病歴者の家族であることを配偶者に告白したため離婚を求められる事態もあるなど、現在もなお、ハンセン病に対する偏見差別が根強く残っており、国の啓発活動は周知徹底されておらず、極めて不十分であることが明らかである。

3 ハンセン病病歴者の家族に対する啓発・支援の欠如

そもそも、2001年熊本地裁違憲判決以降も、国は、ハンセン病病歴者の家族に対する被害回復のための啓発活動・支援対策を講じておらず、家族訴訟において、被告となった国は、ハンセン病病歴者の家族が隔離政策による被害者であることさえ認めてこなかった。

ハンセン病病歴者の家族に対する名誉回復措置、偏見差別除去・家族関係回復のための施策も一切行われてこなかった。

家族訴訟判決に対する政府の控訴断念における内閣総理大臣の謝罪談話も、ハンセン病病歴者の家族が「筆舌に尽くし難い苦難を受けてきた」ことは認めつつも、法的責任に基づいた謝罪は行っていない。

第5 国の法的責任に基づく義務

1 国の偏見差別除去義務

前述したとおり、国は、隔離政策を通じて、全国津々浦々に至るまで、全ての患者を隔離する「無らい県運動」を展開し、患者・家族の自宅や衣類を消毒するなどして、日本全国にハンセン病は強烈な伝染病であるという偏見差別を形成・維持・強化し続けてきたのであるから、全国津々浦々の地域・職場・家庭などで積極的かつ継続的な啓発活動を行わなければ、「一種の社会構造」となった根強い偏見差別を除去することはできない。

2 具体的施策

憲法違反のハンセン病隔離政策により、ハンセン病患者のみならず、必然的に家族らも深刻な被害を被ったことは明らかであり、国も家族訴訟判決に控訴せず、同判決が確定したことを踏まえて、隔離政策を実施してきた厚生労働省、人権啓発を所管する法務省、人権教育を所管する文部科学省、及び「らい予防法」の廃止が遅れ、偏見差別を維持し続けた国会(衆参両議院)に対し、以下の施策を講じることを求める。

(1) 謝罪・名誉回復

ハンセン病病歴者の家族に対し、法的責任に基づき謝罪し、謝罪広告等を通じて全国津々浦々に周知するように名誉回復を講じること。

(2) 損害賠償・補償及び経済的支援

ハンセン病病歴者の家族が、これまであらゆる生活の場面で偏見差別を受け、苦難の人生を強いられ、就職・就労・婚姻・家庭・近隣など生活全般において生活基盤が破壊されてきたことに鑑みて、家族訴訟判決における全原告の共通損害としての慰謝料額に限定せずに、必要かつ十分な損害賠償・補償及び医療・福祉・介護・住居・就労・家族関係等において継続的な経済的支援を行うこと。

家族訴訟判決では、2002年以降にハンセン病病歴者の家族であることを認識した原告は敗訴し、沖縄の原告らは本土復帰前の損害が除外されたが、立法・行政における補償及び経済的支援では、このような差別をせず、ハンセン病病歴者と同居していた家族全員を一律に救済すべきである。

(3) 偏見差別除去・家族関係回復

ハンセン病病歴者とその家族が故郷や地域社会で安心して暮らせるように、各家庭・学校・職場・地域社会などにおいて、社会に根強く残る偏見差別を除去し、家族関係の回復を図るためのより積極的かつ継続的な施策を講じること。

(4) 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」改正

「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」を改正して、家族も被害者と明記して、家族の法的地位を明確にし、上記施策を遂行するとともに、2002年以降、国(厚生労働省)と全国ハンセン病訴訟原告団・全国ハンセン病療養所入所者協議会との「ハンセン病問題対策協議会」に家族代表も参加させるなど、家族も政策形成過程に参加させること。

第6 国と地方公共団体との共同

地方公共団体も、戦前・戦中・戦後を通じて、国に協力して「無らい県運動」を展開してきた歴史的経緯からすれば、地方公共団体にもハンセン病病歴者やその家族に対する偏見差別を形成・維持・強化させてきた責任の一端があり、全国津々浦々に根強く残っている偏見差別を除去し、家族関係の回復を実現するためには、国と地方公共団体との共同が必要である。

よって、国は、地方公共団体と共同して、上記各種施策を講じていくべきである。

第7 当連合会の決意

当連合会は、第1で前述したとおり、1998年、2001年及び2016年の各大会決議において、ハンセン病病歴者の人権救済・被害回復を図るよう国に求めてきた。しかし、現在もなお、ハンセン病に対する根強い社会内での偏見差別が残っており、また、ハンセン病療養所での医療・介護体制も貧弱であるなど、ハンセン病病歴者本人に対する国の施策は不十分であることから、今後も、ハンセン病病歴者の人権救済・被害回復のためにより強力かつ継続的な施策を国に求め続けていく必要がある。

ハンセン病病歴者の家族問題については、家族訴訟の原告561名のうち、沖縄県在住の原告は250名と最多数であり、沖縄県を除く九州7県在住の原告も112名と多数を占めており、九州・沖縄の原告数は原告数全体の3分の2を占めている。

このように多数の家族が原告となって国に国家賠償請求を求めていたということは、九州・沖縄におけるハンセン病病歴者の家族がいかに広範囲かつ多数に及んでおり、ひいては、戦前・戦中・戦後の「無らい県運動」による絶対隔離政策による強制収容がいかに徹底されていたかを物語っている。

家族訴訟及び同判決を通して、ハンセン病病歴者の家族も極めて深刻な「人生被害」を受け、現在もなお根強く偏見差別が残っていることが明らかとなっている以上、ハンセン病病歴者の家族に対する被害回復・人権救済は、喫緊かつ重大な課題である。

よって、当連合会として、国に対し、ハンセン病病歴者の家族に対する法的責任に基づく謝罪・名誉回復、損害賠償・補償及び経済的支援、偏見差別除去・家族関係回復のための取り組みを求めていくとともに、当連合会としても、冒頭で述べたとおり、ハンセン病病歴者の家族問題への取組みが遅れたことに対する深い反省を胸に、被害回復のための取組みを実施していく所存であり、上記決議を提案する次第である。

以上

宣言・決議

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