核兵器の廃絶と非核三原則の法制化を求める決議
2010年10月22日
地球上に2万3千発以上も存在するとみられる核兵器は,人類の生存と繁栄に対する最大の現実的脅威であり,無差別大量殺戮の残虐兵器である核兵器による威嚇又はその使用は,国際法に違反することはもちろん,人間の尊厳に対する重大な挑戦であると言わざるを得ない。
2009年4月5日,アメリカ合衆国のオバマ大統領は,プラハで行った演説で,「核兵器を使用した唯一の国としての道義的責任」から,「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を世界に宣言した。そして,このような核兵器廃絶に向けた機運の高まりを背景として,2010年5月の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議(以下「NPT再検討会議」という。)において全会一致で採択された最終文書で,「核兵器の完全廃絶に向けた具体的措置を含む核軍備撤廃」に関する行動計画に合意したことは,核兵器廃絶に向けた行程が示されていないという点で物足りなさはあるものの,核兵器廃絶に向けて一歩前進したと評価できるものである。
ところが,その一方で,従前の核兵器保有国以外の国による核兵器の開発・実験など核兵器の不気味な拡散に,世界は速やかな対応を迫られている現実がある。
わが国は,原子爆弾の投下による被害を受けた唯一の被爆国であり,広島と長崎に投下された原子爆弾によって20万人以上もの人が殺戮され,今なお多くの被爆者が深刻な健康被害に苦しんでいる。核兵器廃絶に対する機運が盛り上がりつつある今こそ,わが国は世界の核兵器廃絶に向けて先頭に立って行動する責務がある。
しかしながら,日本政府は,NPT再検討会議において,核兵器廃絶に向けた主導的役割を果たしたとは言い難く,また,いわゆる核「密約」問題は,非核三原則を国是とするわが国の核兵器廃絶に対する姿勢に諸外国から疑念を持たれかねないものである。
そこで,われわれは,日本政府に対し,「核兵器を持たず,作らず,持ち込ませず」の非核三原則を厳守するとともにその立法化を進め,さらにはわが国が先頭に立って,核兵器の廃絶と核兵器による威嚇及びその使用を禁止する条約の締結を世界に呼びかけることを求めるものである。
さらに,被爆地長崎の弁護士会を会員に含む当連合会は,日本弁護士連合会と共同して,核兵器が廃絶される日が一日も早く実現できるよう,国内外に原爆被害の深刻さを訴えるとともに,非核三原則を堅持するための法案を提案し,広く国民的議論を呼びかけるなど,最大限の努力を尽くすことを決意する。
以上のとおり決議する。
2010(平成22)年10月22日
九州弁護士会連合会
提案理由
1 核兵器による威嚇又はその使用の違法性
無差別大量殺戮の残虐兵器である核兵器による威嚇又はその使用が,国際法上違法であることは明らかである。1996年7月,国際司法裁判所(ICJ)が発表した勧告的意見は,核兵器による威嚇又はその使用が,武力紛争時に適用される国際法に一般的に違反するとし,わが国においても,東京地方裁判所1963年12月7日判決は,広島・長崎における原爆の無差別投下が国際法に違反するとしている(判例時報355号17頁。下田判決)。
しかしながら,核兵器の廃絶は実現されていない。それどころか,核兵器は今なお地球上に推定2万3千発以上存在し,近年では従前の核兵器保有国以外の国が新たに核兵器の開発・実験等を行うなど,核兵器の拡散が国際社会の安全を脅かす現実的脅威となっている。
核兵器の存在は,依然として全世界の人々の平和的生存を脅かす最大の要因であり,かつ人間の尊厳に対する重大な挑戦である。
2 核兵器の廃絶に向けた世界情勢
2009年4月,アメリカ合衆国のオバマ大統領は,「核兵器を使用した唯一の核(兵器)保有国として行動する道義的責任がある」ことに言及したうえ,「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を世界に宣言した(プラハ宣言)。
また,ロシア連邦のメドベージェフ大統領は,ジュネーブ軍縮会議(CD)への書簡において,同様に,「核兵器のない世界という目標に全面的に同意」していると言明した。
そして,同年7月,主要国首脳会議(G8)ラクイラ・サミットでは「核兵器のない世界のための状況をつくる」ことが確認され,同年9月,国連史上初めて核問題で開催された安全保障理事会首脳会合では,「核兵器のない世界に向けた条件を構築する決意」を盛り込んだ安保理決議1887号(核不拡散及び核軍縮に関する決議)が全会一致で採択された。
このように,核兵器の廃絶を目指す動きは,国際政治の中で急速に広がっている。
そのような中,2010年5月に約150か国が参加して開催された核兵器不拡散条約(NPT,190か国加盟)運用検討会議(以下「NPT再検討会議」という。)においては,NPTの3本柱である核軍縮,核不拡散,原子力の平和的利用などについて,64項目もの具体的な行動計画を含む最終文書が全会一致で採択された。そのうち,核軍縮の項においては,「核兵器の完全廃絶に向けた具体的措置を含む核軍備撤廃」に関する行動計画として,「すべての国が,『核兵器のない世界』の実現という目標と整合性の取れた政策を追求する」とされ(アクション1),「核兵器保有国は,核軍縮の履行状況等について2014年のNPT運用検討会議準備委員会に報告するよう求められる」とされているが(アクション5),これは,核兵器廃絶に向けた行程が示されていないという点で物足りなさはあるものの,「核兵器のない世界」に向けて,一歩前進したものと評価できる。
また,2010年8月5日,長崎での被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(以下「長崎平和祈念式典」という。)に先立ち,潘基文国連事務総長が長崎を訪れ,「(核)兵器の使用を二度と許さないための唯一の方法はそれらを全廃すること」,「核兵器のない世界の実現が可能であるとの信念とともに献花することは光栄」との演説を行った。翌8月6日,広島市での原爆死没者慰霊式・平和祈念式(以下「広島平和祈念式典」という。)には潘基文国連事務総長,アメリカ合衆国のルース駐日大使,その他の核兵器保有国から英国及びフランス共和国の政府代表等が初めて参加し,3日後の8月9日の長崎平和祈念式典には,核兵器保有国から英国,フランス共和国,ロシア連邦等の政府代表が出席するなど,核兵器保有国も原子爆弾の被害を直視する姿勢を見せ始めている。
さらに,アメリカ合衆国のCNNテレビなどが,広島平和祈念式典を異例の生中継で報じたが,これは,核兵器保有国の政府にとどまらず,核兵器保有国の国民においても核兵器廃絶に対する関心が高まっていることを示すものである。
核兵器廃絶に向けた機運はこれまでにないほど高まっている。
3 唯一の被爆国として(被爆地からの声)
わが国は,原子爆弾の投下による被害を受けた唯一の被爆国であり,殊に広島・長崎の人々は,核兵器の使用が人間の生命・健康に深刻な被害を与え,地球環境を破壊することを身をもって体験した。
広島・長崎に投下された原子爆弾によって,20万人以上もの人々が殺戮され,生き残った被爆者も重篤な傷害を負い,その後も,長年にわたって原子爆弾の放射線被害に苦しめられてきた。被爆後,長い年月の潜伏期を経て,がんや白血病,肝機能障害,脳卒中や心疾患などの病気が発症し,今なお病気に苦しめられている被爆者が多数存在する。その苦しみを,実際に長崎で被爆体験をした山口仙二氏は次のように述べている。
「やっと,傷がなおって家へ帰ることができた私を待っていたのは,近所のこどもたちの冷たい視線でした。手術を受ける前の私の顔は,赤剥けの肉の塊でしかなかったのです。両手も胸も同じです。こどもたちは,私を見ると,『赤鬼がきた!』と言って,走って逃げました。放射能に犯された体は,すぐに病気にかかり,ちょっと動いても疲れます。職場を転々と移り,入退院を繰り返しました。苦しさに,自殺をはかったことが2度あります。1982年には,ケロイドのあとが皮膚癌になりました。被爆以来自分の体が普通の人なみに『健康だ』と感じたことは一度もありません。」(平成10年(行ツ)第43号 原爆症認定申請却下処分取消請求上告事件 上告理由反論書より引用)
1994年,ようやく原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律が制定されたものの,原爆症の認定を不当に狭くする行政の運用により,認定申請却下が相次ぎ,全国各地で原爆症認定集団訴訟が提起されることとなった。それらの訴訟で国は連続して敗訴し,その結果2度にわたり審査の方針(原爆症認定基準)が改訂され,2009年8月6日の合意により,原爆症認定集団訴訟の解決の目処は立ったものの,現在なお改善すべき課題は少なくない。
国は,被爆者の「ノーモアヒロシマ,ノーモアナガサキ」という声に耳を傾け,被爆者に対する援護を進めるとともに,唯一の被爆国として世界の核兵器廃絶に向けて先頭に立って行動すべきである。
しかしながら,日本政府は,NPT再検討会議に,国内政局の紛糾があったとはいえ,首相も外相も参加することなく,日本政府代表の発言は,アメリカ合衆国の主張した核兵器なき世界実現の条件作りの範囲を出るものではなかった。その姿勢は,唯一の被爆国として期待される,核兵器廃絶に向けた主導的役割を果たしたとはいい難いものであった。
4 非核三原則の法制化等
日本政府は「核兵器を持たず,作らず,持ち込ませず」の非核三原則を堅持すると言明している。
しかし,他方で核兵器を積んだアメリカ合衆国の軍艦が日本に寄港していた可能性は否定できないと認めており,また,日本とアメリカ合衆国間の「核密約」疑惑は十分に解明されないまま,「有事の際にはアメリカ合衆国の核兵器導入を許し,その核抑止力に依存しよう」とするかのような曖昧な姿勢をとっている。
2010年7月,首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」から提出される報告書案の内容について,朝日新聞が報道したが,これは,わが国の国是である非核三原則の見直し,とりわけ「持ち込ませず」の見直しを求めるものであった。同年8月,同懇談会が最終的に公表した報告書「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想」では,上記部分は若干修正され,非核三原則について,「当面,日本の安全のためにこれを改めなければならないという情勢にはない」としながらも,「しかし,一方的に米国の手を縛ることを原則として決めておくことは,必ずしも賢明ではない」とその堅持に消極的な表現を用いている。このような方向転換は,わが国が一貫して行ってきた核兵器廃絶に向けての行動に対する信頼を損なうものであると言わざるを得ない。
他国の核兵器に依存する安全保障政策からの脱却について十分な議論や検討は必要であるが,核兵器廃絶のためには,国是である非核三原則を有名無実のものとすることなく,堅持するため,何よりも,非核三原則を一体として準憲法的規範性を有するものとする法制化に踏み切ることが必要である。このような決断をしてこそ初めて,「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占め」ることが可能となる。
5 核兵器の廃絶と核兵器による威嚇及びその使用を禁止する条約
1987年,アメリカ合衆国と旧ソビエト社会主義共和国連邦間で,中距離核弾道ミサイル,地上発射核巡航ミサイルを廃棄する中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)が締結され,その後,実際に両国の中距離核戦力兵器は廃棄・解体・破壊された。生物・化学兵器,対人地雷,クラスター弾などの無差別残虐兵器についても,生物兵器禁止条約(BWC),化学兵器禁止条約(CWC),対人地雷条約(オタワ条約),クラスター弾に関する条約の締結により開発・生産・保有等の全面的禁止が進んでいる。核兵器についてもこれらの兵器と同様,全面的禁止は不可能ではない。
核兵器を禁止し,廃絶するためには,核兵器保有国,核兵器保有能力のある国を含む多国間において,核兵器による威嚇及びその使用に止まらず,開発,実験,製造,保有,配備,移譲などを全面的に禁止し,検証システムのもとで核兵器の廃絶の道筋を示す「核兵器禁止条約」(NWC)を実現しなければならない。
すでにコスタリカ共和国とマレーシアの政府が,条約案を国連に提起し(1997年に第1次案,2007年に改定版),マレーシアは,毎年,国連総会に早期交渉開始の決議案を提出し,多数の国家の賛同を得ているが,核兵器保有国の多くが反対し,交渉は開始されていない。
「核兵器のない世界」の実現を,国際社会における政治的合意にとどめず,条約レベルでの法的枠組みとすることが求められており,日本政府は,前記マレーシア提出の決議案に対する棄権の態度をあらため,先頭に立って交渉の開始と条約の締結を呼びかけるべきである。
4年後に行われるNPT運用検討会議準備委員会では,唯一の被爆国である日本は,今度こそ核兵器廃絶に向けたリーダーシップを発揮しなければならない。そこで,日本政府に対し,非核三原則の法制化をして核兵器廃絶への決意を示し,核兵器廃絶に向けてのロードマップを提示するよう強く求める。
6 今こそ核兵器の廃絶を
われわれは,日本政府に対して,被爆者の痛み・苦しみを繰り返させないためにも,非核三原則の法制化に踏み切ること,さらに,わが国が核兵器の廃絶に向けて世界の先頭に立ち,核兵器の廃絶と,核兵器による威嚇及びその使用を禁止する条約の締結のための指導的役割を果たすことを求める。
被爆地である長崎,そして唯一の地上戦が行われた沖縄を会員に含む当連合会は,日本弁護士連合会と共同して,核兵器が廃絶される日が一日も早く実現するよう,被爆者の被害回復を求める取組を支援するとともに,国内外に原爆被害の深刻さを訴え,法律家団体として,非核三原則の堅持に向けた法案を提案し,広く国民的議論を呼びかけ,今後ともたゆむことなく努力することを決意し,ここに決議する。
以上