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中国帰国者に関する実効性のある施策を求める決議

中国残留邦人は,日本の国家施策による犠牲者であって,日本政府は,国家として,中国残留邦人帰国者(以下「中国帰国者」という。)が日本社会に適応し,人間らしく生きる権利を回復し,保障する責任を負うものである。この国家責任を果たすためには,中国帰国者の実態を正確に把握し,その意思を尊重したきめ細かな長期的,総合的施策が求められる。

ところが,これまで実施されてきた中国帰国者の実態調査は,記名式で,かつ,自立指導員等の面接調査により行われるなど,中国帰国者が,その意思を自由に 表明しうるものとはなっておらず,施策においても,短期間の自立支援策を実施 した程度にとどまり,実効性のある方策が講じられなかった。その結果,中国帰国者の多くは,言葉の壁もあって就業機会に恵まれず生活保護のもとに不自由かつ不安定な生活を強いられ,人間としての尊厳を傷つけられ,日本社会の中で孤立している。

日本政府は,定期的に,全帰国者を対象とした実態調査を行っているが,まず,同調査に当たっては,中国帰国者が真に自由にその意思を表明しうるように,調査方法を改善するべきである。次に,日本政府は,同実態調査の結果に基づき,中国帰国者の意思を尊重しつつ,国の責務として,中国帰国者が人間としての尊厳をもって地域社会において遇され,家族とともに真に自立した人生を全うできるための継続的支援を本格的に行うべきである。

九州弁護士会連合会は,九州管内居住の中国帰国者に対する本格的な実情調査を行い,日本国憲法と国際人権の視点から中国帰国者が速やかに人権を回復し地域社会で尊厳をもって共生できるための具体的提案を広く市民に提起し,自らこれに取り組む決意である。

以上のとおり決議する。

2003年(平成15年)10月31日

九州弁護士会連合会

提案理由

1 残留邦人発生までの経緯

過去,我が国の政府は,国家施策であった満州移民政策(1936年8月25日,広田内閣「七大重要国策要項決定」第6項で満州への開拓移民を今後20年間で100万戸計画と明記)に基づき,多くの日本人を中国大陸に開拓民として送り出し,かつ,国防的見地から(1937年11月30日,閣議決定「満州に対する青少年移民出に関する件」等)多くの開拓民をソ満国境に沿った開拓地に配置した。大本営・関東軍は,1945年(昭和20年),本土防衛のため,朝鮮半島及びこれに近接した満州地域を絶対的防衛地域とし,開拓地のほとんどを含む満州の4分の3を持久戦のための戦場とすることを決定した。

しかし,大本営・関東軍は,これらの情報を開拓民には一切知らせず,同年8月8日の突然のソ連軍侵攻に開拓民がさらされる中で,8月10日,「朝鮮は防衛,満州は放棄」との命令を出した。このため,関東軍はほとんどソ連軍と戦わないまま開拓民の保護をせずに撤退した。その結果,応召者を除く開拓民の犠牲者数は7万8450人に達した。それは実に開拓関係者の3割が死亡するというものであった。中国残留邦人,殊に残留孤児は,この混乱の中で奇跡的に生き延び,現地の中国農民らに助けられるなどして中国に残留した人々である。

それ故に残留邦人は,自らの意思に関わらず中国大陸に渡り,かつ戦争遂行の中で置き去りにされた人たちであり,日本の国家政策による犠牲者であった。従って,日本政府は,中国残留邦人に対して,国家として原状回復責任を負うべきものである。

2 終戦後の情況と帰国の遅滞

残留孤児のほとんどは中国人の養父母の下で生育した。一定の教育を受けた残留孤児もいるがそれはむしろ少数であり,多くの養父母が貧しい生活であったため残留孤児は生活に追われ働きずくめで,小学校にも満足に通えなかった者も珍しくない。「残留婦人」の置かれた情況も同様であった。ことに,残留孤児は,日本軍の侵略行為への憎しみを一身に受け,「小日本人鬼子」と呼ばれて幼い頃から虐めを受けてきた。また,残留邦人は,「文化大革命」の際には,日本人というだけの理由で種々の迫害を受けた。この間,日本からの帰国の働きかけはなく,残留邦人はこのような厳しい状況の中で,懸命に働き中国社会の中にとけ込み家庭を築いてきた。しかし,日本への望郷の念と日本での肉親との再会への思いを断ち切ることはできなかった。

ところが,日本政府は,1959年,残留邦人が多数生存していることを知りつつ,戦時死亡宣告という制度を立法化し,多くの残留邦人の戸籍を抹消させ,さらに残留邦人の帰国のためあらゆる努力を尽くすべきという国家としての基本的責務を放棄した。1972年の日中国交回復後も,帰国へ向けての日本政府の動きは全くと言っていいほどなく,民間の篤志家たちの献身的な努力により漸く1981年に訪日調査が始まり,肉親との再会や帰国が可能となった。

従って,日本に帰国した残留邦人のほとんどは,帰国するまで,戦後40年近くにわたり,中国社会において中国語のみで社会生活を営んできたのである。言語についてはもとより,風俗習慣,ものの考え方に至るまで,ほとんど全て中国人に近いものが獲得形成されていたのである。

しかも,残留邦人の中には,その置かれた環境の違いによって,幸いにも高等教育を受けることができた者から,不幸にもほとんど初等教育すら満足に受けることができなかった者までが含まれていた。

これらの歴史的経緯を踏まえれば,日本政府は,国家として中国残留邦人帰国者(以下「中国帰国者」という)が日本社会に適応し,人間らしく生きる権利を回復し保障する原状回復責任を負うものである。日本政府はこの責任を自覚した上で,日本語を話すことすらできないまま帰国をした中国帰国者に対して,彼らが日本人としての誇りと人間としての尊厳をもった生活を日本の地域社会の中で安定的に送ることができるよう,中国帰国者の実態を正確に把握し,彼ら自身の意思を尊重しつつ且つ各自の条件に応じたきめ細かな長期的,総合的な視野に立った施策を確立し,経済的な支援措置のみならず社会的・文化的な支援措置を講じるとともに広く市民に対して社会的な支援のネットワークづくりを呼び掛けることが求められていたのである。

3 帰国後の情況

ところが,日本政府は,このような配慮をすることなく,中国帰国者を全国に散在する帰国定着促進センターにわずか4ヶ月間入所させ,中国における教育程度に配慮することなく画一的なカリキュラムの下で日本語研修などを行った程度で,彼らをいわば日本社会に放り出した。さらに,日本政府は,日本社会に出た中国帰国者については自立研修センターや自立指導員による指導に委ねたが,その段階でも系統的な日本語教育や社会教育を受ける機会の保障はおろか地域における社会生活を支援するシステムを構築しないままであった。このように日本政府は,一方的,一律かつ短兵急に短期の日本語を研修した程度で,未だ日本文化の理解すらできていない中国帰国者に対して自らの力で日本社会に適応して「自立」した生活を送るように求めたのである。そのこと自体が無理を強いることであり,結果的には中国帰国者の日本社会における共生を遅らせることにつながるであろうことは自明のことであった。

その結果,多くの中国帰国者は中国での職歴等経験を全く活かせることなく,言葉の壁にも阻まれて,清掃等の単純作業に就くしかなかった。更に,せっかく得た就業の機会も異なる文化的背景に起因する生活習慣の相違などから発生する職場のあつれきなどにより喪失することも少なくなく,懸命に自立した生活を目指しながらも生活保護に頼らざるを得ない情況に追い込まれてしまった。その後,生活保護受給率は加齢とともに高まり,2002年発表の厚生労働省全国調査によれば,その割合は実に中国帰国者(約3,000名)の7割を超えている。

少なくない中国帰国者が,地域社会や近隣の日本人のみか,彼らの帰国を迎えた両親や兄弟のいる故郷とも断絶して,家賃扶助を受けたアパートの一室で,中国語放送のテレビと週に1度配達される中国語の新聞を頼りに生活保護受給者として肩身の狭い思いにかられながらひっそりと生活を続けている。中国帰国者は,日本で生活しながら,その実,日本社会から疎外され隔離されているのが実態である。

4 人権救済の申立

日本弁護士連合会は,中国帰国者の処遇について,第27回人権擁護大会(1984年)において,早期帰還を実現するとともに「帰還者とその家族に対しては,自立を促進する特別の生活保障をするなど特別立法を含む諸措置を速やかに講ずることを要望する」旨の決議を行った。また,国会は,1994年,「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」を議員立法で制定し,中国残留邦人の帰国と定着及び自立支援を行うことを国の責務として明確化した。

しかし,喜び溢れて祖国日本に帰国したはずの中国帰国者のうち九州各地に在住する73名が,帰国から20年近く経過した2002年11月5日,九州弁護士会連合会に対し,『普通の日本の市民として生きていく権利の保障』を求めた人権救済申立をした。その直後,関東地区在住者を中心に637名の中国帰国者が日本政府の人権侵害に対する国家賠償請求を求めて東京地裁に訴えを提起し,更に2003年8月20日には鹿児島県において集団訴訟が提起されるに至っている。

今日に至ってなお『普通の日本の市民として生きていく権利の保障』を求めて九州弁護士会連合会に対する人権救済申立がなされていることに象徴されるように,多くの中国帰国者が,言葉の壁もあって就業機会に恵まれず,70%以上が加齢とともに生活保護に頼らざるを得ない情況へ追い込まれ,不自由かつ不安な生活を強いられている。加えて,我が国における多文化共生思想の欠落にも起因して,中国帰国者は,日本文化の歴史的形成にも大きなかかわりがある中国文化を身につけた日本人として尊厳ある待遇を受けられず,地域社会の中で孤立している情況にある。

5 結論

中国帰国者の多くが,人生の晩年を迎えている今,彼らは何を求めているのか,また我々は,何をしなければならないのか。事は緊急を要するし,残された時間は少ない。彼らの「日本人として,人間らしく生きたい」という人間としての尊厳に根ざした心の深奥からの願いの実現に向けて,緊急の作業を行うことは日本国家と日本人の共通の責務である。中国帰国者らに残された時間は決して多くない。今,直ちに,日本人として日本社会において人間らしく生きる権利を回復する手だてを採らないと取り返しがつかないものとなる恐れが強い。「自立支援」政策は破綻し,多くの中国帰国者に対し困窮と社会的孤立を強いているにも関わらず,多くの市民に対して,こうした実情が知らされていない。

厚生労働省をはじめとする政府及び地方自治体など関係諸機関は,これまで1994年(平成6年)と1999年(平成11年)の2回にわたり中国帰国者の実態調査を実施してきた。しかし,その実態調査は,記名式であり,かつ自立指導員等が調査項目を説明し,その場で回答させるという面接調査によるものであった。そのため,中国帰国者が,その意思を自由に表明しうるものとはなっておらず,その調査結果がどれほど帰国者の真意を反映したものであるかには多大な疑問符をつけざるを得ないものである。更に,本年には全帰国者を対象とする実態調査を行う予定であるが,その調査方法がこれまでと同様であれば,その結果についてはこれまでと同様の疑問を免れない。

確かに,2001年(平成13年)に日本政府が支援・交流センターを立ち上げ従来の当面の支援という基本政策から継続的な支援という基本政策に転じたことは一定の評価に値する。しかし,同センターはまだ東京と大阪の2ヶ所に設置されているにすぎず,同センターを基点とする支援がどの程度の実効性を持つものであるかは未知数である。いずれにしてもその支援の実施においては,何よりも中国帰国者自身の意思を尊重しつつ,中国帰国者が残された人生を人間としての尊厳をもって地域社会において遇され,家族とともに真に自立した人生を全うできることを念頭に置かなければならない。

そこで,政府は定期的な全帰国者を対象とした実態調査を行うに当たっては,まず,中国帰国者が真に自由にその意思を表明しうるように,調査方法を改善すべきである。次に,政府は,同実態調査の結果に基づき,中国帰国者の意思を尊重しつつ,国の責務として,中国帰国者が人間としての尊厳をもって地域社会において遇され,家族とともに真に自立した人生を全うできるための継続的支援を本格的に行うべきである。

九州弁護士連合会は,我々自身が中国帰国者の深刻な社会的孤立や困窮の実情を正確に知らなかったことを強く反省し,今回の人権救済申立を契機として,九州管内居住の中国帰国者に対する本格的な実情調査を行い,その結果にもとづいて日本国憲法と国際人権の視点からあるべき政策転換の方途について集中的な調査研究を行い,中国帰国者が速やかに人権を回復し地域社会で尊厳をもって共生できるための具体的提案を広く市民に提起し,自らその実行の先頭に立ち全力を挙げて取り組む決意を表明するものである。
以上が,本決議案を上程する理由である。