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捜査過程における実質的適正手続の実現及び弁護活動の保障を求める決議

1 本年5月21日から裁判員裁判制度が施行された。同制度は,職業裁判官によって運営されてきた刑事司法制度に市民の意見を取り入れることで,硬直した我が国の刑事司法制度に新風を吹き込むことが期待されている。

しかし,裁判員となった市民は,多くの場合初めて刑事裁判に接し,数日間の審理で判断を下すことになるのであるから,同制度を充実したものにするためには,裁判員の判断に必要な情報が適切かつ十分に提供されていなければならない。このような環境を整えることは,日本国憲法31条以下において規定される適正手続保障を裁判員裁判制度において実現することでもある。

2 また,裁判員裁判に止まらず,志布志事件,氷見事件及び足利事件を顧みるまでもなく,職業裁判官による裁判であっても,捜査過程における実質的適正手続の実現及び弁護活動の保障が不可欠であることは言うまでもない。

3 そこで,当連合会は,捜査過程における実質的適正手続の実現及び弁護活動の保障を求め,緊急に,次のことを実現するよう強く求める。

  1. 取調べの全過程を可視化(録画)すること
  2. 起訴前保釈制度及び未決勾留の代替制度である「出頭等確保措置」を創設するとともに,刑事訴訟法の原則的運用により起訴後保釈制度を実効あらしめること
  3. 検察官手持ち証拠の全面開示を義務化すること

2009年(平成21)年10月23日

九州弁護士会連合会

提案理由

1 裁判員裁判制度の趣旨

平野龍一東大名誉教授が「日本の刑事裁判はかなり絶望的である。」と述べられたとおり,職業裁判官による刑事裁判は,証拠評価や訴訟指揮において捜査機関に与するきらいがあり,それによって刑事司法の現場では無罪推定原則が形骸化し,有罪を確認するための手続になっていた。有罪率99.8パーセントという数字がそれを裏付けている。これを裏返せば,従来の刑事裁判では,無辜の処罰の危険が常に存していたということであり,報道によれば,最近実施された元裁判官アンケートでも同様の回答が多く得られている。

このように,職業裁判官のみが刑事裁判手続をしてきたことに対し,これに風穴を開け,直接主義,公判中心主義の原則に則り,刑事裁判に一般市民の健全な常識を反映させるのが裁判員裁判制度である。それによって,従来の刑事裁判手続の弊害として批判されてきた調書裁判及び人質司法が改善されることが期待されている。

2 いま緊急に決議内容の実現を求める理由

裁判員裁判では,裁判員は,職業裁判官とともに証拠に接し,それを評価し判断を下す作業をおこなう。ところで証拠の厳選や直接主義,口頭主義が図られているが,未だ供述調書が刑事裁判において一定の役割を果たしている現状に鑑みると,裁判員に対し,供述調書の評価をおこなうに足りる捜査に関する実態情報や,捜査段階における被疑者・被告人の心理に関する情報が与えられ,証拠評価を誤らせるような証拠を排除することが,適切な証拠評価の前提となる。そこで,裁判員が適切な証拠評価を行えるよう,それらの情報を十分に提供しうる環境を整え,かつ違法捜査の芽を摘むことが大事である。また,裁判員に対し,裁判員が判断をなすに必要な情報や主張が適切に届くよう,実質的に防御権や弁護権を保障することが不可欠である。

このような環境を整えることは,日本国憲法31条以下において規定される適正手続保障を裁判員裁判制度において実現することでもある。

そこで,裁判員裁判が始まったいま,捜査過程における実質的適正手続の実現と弁護活動の保障を求め,そのため,緊急に,取調べの全過程の可視化(録画),起訴前保釈制度の創設と起訴後保釈の原則的運用,及び,検察官手持証拠の全面開示の実現を強く求める。

3 取調べの全過程の可視化(録画)

まず,取調べの全過程の可視化(録画)を実現すべきである。

すなわち,例えば志布志事件,氷見事件及び足利事件のように,密室における取調が自白強要の温床となり虚偽の自白を誘発する実態があることから,裁判員が,証拠の評価を適切におこなうことができるよう,取調べの全過程を可視化(録画)すべきである。

近時,捜査機関が取調過程の一部録音・録画を行っているが,これは,録音・録画がなされない部分において自白の強要がおこなわれる虞があること,捜査機関が自白調書の任意性を立証するにあたり自らに都合のいい部分ばかりを断片的に利用する虞があること,弁護人に対する録音・録画内容の開示が適切におこなわれない虞があることに鑑みると,一部可視化ではまったく不十分であり,立法によって取調べの全過程の可視化(録画)を実現する必要がある。

また,捜査機関は,取調べの全過程の可視化に対し,全過程の録音・録画をすると,被疑者・被告人との信頼関係をそこない,取調べが実を結ばないとして,取調べの全過程の可視化に反対するが,そもそも供述証拠に頼ろうという捜査機関の前提が誤ったものである。加えて,足利事件では,報道により,その関連事件において被疑者(当時)の菅家利和氏の承諾を得て取調べ過程の録音がなされていたことが明らかにされたが,それによれば,捜査機関は取調べ過程の録音をおこなったにもかかわらず,捜査機関の立場からすると取調べが「奏功」し,いったんは同氏から自白を取得したとされている。つまり,取調べの録音を行いながら,結果的には自白しかも虚偽の自白を取得したというわけである。そのことは,取調べの全過程を可視化するならば取調が実を結ばず,自白を得られないとして取調べの全過程の可視化を批判する,捜査機関の論調が根拠を欠くことを示している。

日弁連が行った署名活動では,全国的に約112万名の署名が集まったとおり,国民世論も冤罪防止等のため,取調べの全過程の可視化(録画)を求めている。

4 人質司法からの脱却と身体拘束及び保釈制度の改善

次に,起訴前保釈制度及び出頭等確保措置制度の創設,並びに起訴後保釈の原則的運用を実現すべきである。

すなわち,身体を拘束された被疑者・被告人が釈放されたいと思う自然な欲求に反して身柄拘束を人質にとった取調べや審理手続が行われ,そのことが自白強要・虚偽自白の温床となっていること,裁判員裁判では連日開廷の下におこなわれる公判の準備のため被告人と弁護人が十分な時間をかけて打合せをおこなう必要性があること,近時やや保釈率が上向いているとはいえ,かつてと比較するとまだ保釈率が低いことなどに鑑み,人質司法からの脱却のため,身体拘束及び保釈制度を抜本的に改善すべきである。

まず,現在は制度化されていない起訴前保釈制度を立法によって創設すべきである。

また,国際人権規約(自由権規約)に規定される無罪推定原則・身体不拘束の原則や比較法的観点から,「在宅」と「勾留」の中間的な形態であり,未決勾留の代替制度である「出頭等確保措置」(一定の行動の自由に対する制限を設けた上で,拘置所あるいは代用監獄において身体拘束をせず,自宅における生活を認める制度)を,立法によって創設すべきである。

そして,これらの立法による解決を待つまでもなく,現行法の下においても,刑事訴訟法89条が権利保釈制度を定めている趣旨をふまえ,裁判体において保釈に関する運用を原則的かつ弾力的に運用し,保釈制度を実効あるものに改善すべきである。

5 検察官手持ち証拠の全面開示

さらに,検察官手持ち証拠の全面開示の義務化を実現すべきである。

捜査機関は膨大な証拠を収集し,現実には,検察官が半ば独占的に証拠を支配している。そこで,仮に,検察官の手持ち証拠の中に被告人の無罪を証明する証拠があっても,その証拠が出されないときは容易に冤罪が起こり得る。それは,戦後最大級の冤罪事件である松川事件の「諏訪メモ」の例を引くまでもなく明らかであり,近年,アメリカでは,死刑事件の再審の過程で警察官の手持ちファイルの中に被告人の無罪を証明する証拠があることが発覚し冤罪が証明されて無罪になる事例が少なくなく,州により全面的証拠開示制度が法制化されている(伊藤和子「誤判を生まない裁判員制度への課題」)。また,ヨーロッパでは,証拠開示を受ける権利が被告人の基本的人権として認識され保障されている(同)。

検察官手持ち証拠の全面開示は,被告人の防御権と弁護人の弁護権を実質的に保障し,実体真実発見と冤罪防止,及び,裁判員裁判が適切に審理されるためにも,極めて重要である。わが国の証拠開示制度は,2004年の刑事訴訟法改正によってはじめて一定の類型証拠と主張関連証拠の開示が法制化されたが,証拠開示が適切になされるかどうかは今後の運用にかかっているほか,上記の諸要請に照らせば,いまだ証拠開示制度は十分とはいえない。

そこで,事件の全体像を証拠によって把握し,実質的当事者主義を実現し,実体的真実の発見をはかるために,検察官手持ち証拠の全面開示が必要であり,そのため,立法によって,検察官手持ち証拠の標目の開示や,検察官手持ち証拠の全面開示を義務化すべきである。

6 まとめ

裁判員裁判では,以上のとおり,取調べの全過程の可視化(録画),起訴前保釈制度及び出頭確保措置の創設並びに起訴後保釈の原則的運用,並びに検察官手持ち証拠の全面開示を実現することによって,裁判員が証拠の評価についてさらに適切な判断をなし,充実した法廷運営と充実した評議をなしうる。

また,職業裁判官による裁判のもとでも,違法取調や冤罪が発生し続ける実態に何ら相違はないから,取調べの全過程の可視化(録画),起訴前保釈制度及び出頭確保措置の創設並びに起訴後保釈の原則的運用,並びに検察官手持ち証拠の全面開示を実現することが必要であり,法制化が必要である

以上,緊急に立法による実現を求める。