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全ての水俣病被害者が救済される特措法の運用を求める決議

2010年10月22日

2004(平成16)年の関西訴訟最高裁判決によって,水俣病の発生・拡大について,国・熊本県の法的責任が確定した。これを受け,水俣病問題についての抜本的な解決への期待が高まった。

その後ようやく,2009(平成21)年になり,地域における紛争を終結させ,水俣病問題の最終解決を図り,環境を守り,安心して暮らしていける社会を実現すべく水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(以下「特措法」という)が成立した。

しかしながら,特措法は,その運用如何によっては,被害者救済ではなく,被害者切り捨てにつながりかねない危険性も内包している。すなわち,特措法のみならず,公害健康被害の補償等に関する法律(以下「公健法」という)においても,被害者に対する補償は原因企業たるチッソ株式会社が負担する旨の制度設計がなされているが,特措法において同社は分社化のうえ消滅させる可能性が指摘されており,その場合救済を受けることができない被害者が多数生じる可能性がある。

そこで,当連合会は,以下の事項について求めることを決議するものである。

1 環境省は

(1)特措法7条2項が定める救済措置対象者確定のための期間として救済措置の開始後3年以内を目途とする旨の規定は努力規定であり,これを経過した後に補償を受けるべきことが明らかとなった被害者を切り捨てることがないように方針を定めること。

(2)特措法9条2項の事業再編計画の認可において,すべての水俣病被害者の救済が可能となるような認可の基準を定めること。

2 国,熊本県,鹿児島県,チッソ株式会社は

水俣病認定患者とりわけ胎児性認定患者において,患者及びその家族の高齢化に伴って症状が悪化し,介護の必要性がますます強くなっている現状に鑑み,患者の治療,訓練,社会復帰,職業斡旋,介護及び家族の福祉の増進等実情に即した具体的方策を定めること,並びに,これらの患者が安心して生活するための医療施設の充実,地域の中で暮らしていける介護や支援サービスの充実を実現出来るように,最後まで責任を持ってその福祉的措置に取り組むこと。

2010(平成22)年10月22日

九州弁護士会連合会

提案理由

1.これまでの経緯等

2004(平成16)年の関西訴訟最高裁判決によって,国・熊本県の法的責任が確定した。これを受け,被害者やその構成団体などから,水俣病問題の抜本的な解決への期待が高まったが,新たな救済施策が遅々として進展しないことから,被害者から当連合会に対して人権救済申立がなされた。2007(平成19)年2月に当連合会は,国・熊本県・鹿児島県・チッソ株式会社(以下「チッソ」という)を相手方とする警告を発し,さらに,同年及び翌2008(平成20)年の当連合会定期大会において,水俣病問題について抜本的な解決を求める決議を採択し,被害者の救済を求めてきた。

その後,国は2009(平成21)年になりようやく特措法を制定し,新たな救済施策が実施されることとなった。

しかしながら,特措法には,その運用如何によっては,救済されない被害者が多数生じる危険性が存在する。

2.チッソの分社化の意義

チッソの分社化とは,水俣病の補償責任を負担する親会社と収益事業を引き継ぐ会社(事業会社)にチッソを分社化し,チッソの事業を水俣病の補償責任から切り離すことを言う。分社化後の親会社は事業会社の全株式を保有する。当面は,事業会社からの配当金や新たな公的資金の借り入れによって未認定患者への一時金支給と認定患者への継続的補償がなされ,将来的には事業会社の株式の売却により,引き続き認定患者補償に十分な額の資金を積み立て,公的債務の返済も終了するということを想定している。

3.分社化の基本構造

(1)事業再編計画
分社化に関する一連の手続きでもっとも重要な部分は,事業の再編計画についての環境大臣の認可である。その認可が得られれば,新会社の設立とそれへの事業譲渡は容易に実現する仕組みになっている。環境大臣の認可の要件としては特措法9条2項に定めがある。

(2)事業会社の債務不承継
事業会社は水俣病関連の債務は引き継がない(特措法9条1項2号)。また事業会社に対する詐害行為取消権や否認権等の適用が除外される(特措法14条)。

(3)訴訟の取り下げ等
特措法による補償を受けるためには,訴訟の取り下げ,認定申請の取り下げ等が要件である(特措法5条2項1号)。

4.未認定患者の救済のための財源確保と分社化との関係

特措法に定める分社化の規定は,水俣病の未認定患者救済の問題と一体になって議論されてきたという経緯がある。そして,チッソが水俣病の未認定患者に対して負担するのは一時金や団体加算金である。しかし,これらの一時金や団体加算金を負担するために,チッソの分社化は必ずしも必要なものではない。これらの一時金や団体加算金は平成7年における政治解決の際と同様,国や県からの借入金によってまかなうことが想定されている。従って,チッソは未認定患者が対象者として確定すれば,これらの対象者に対する支払いを国,県からの借入金で実施することになり,この借入金は新たな公的債務として残ることになる。そして,どれだけ公的債務が増えても,分社化によってチッソが支払うべき金額は株式の売却益の限度に止まるから,チッソの分社化によってチッソが国や県に対して負担するのは有限責任に止まる。分社化の規定が水俣病被害者ではなくて加害企業チッソを擁護するものであると言われる由縁である。

5.今後の水俣病認定患者の発生の可能性

特措法7条1項4号にみられるように,特措法は,今後新たな水俣病の認定患者はまず発生しないということを前提にしている。しかしながら,本年7月16日,大阪地方裁判所は水俣病認定義務付け訴訟の判決で,現行の水俣病の認定基準は医学的根拠を欠くこと,いわゆる四肢末梢優位の感覚障害を有するだけの者でも,因果関係が立証出来れば水俣病として認定すべきことを命じた。かかる判決の考え方によれば,理論的にはいわゆる未認定患者の大半についても裁判所によって水俣病の認定患者として今後救済される可能性があるということになる。そして,水俣病認定審査会による認定患者に対しては,補償協定により1600万円から1800万円の一時金及び毎月の継続的な給付をチッソが負担することになるが,分社化によりチッソが消滅してしまうことになれば,今後裁判所で水俣病と認定されても,補償金が支払われないという事態となることも予想される。

実際問題としても,今後裁判所によって水俣病認定患者であると司法認定されるという事例が,相当程度発生することも予想される。かかる事態を考慮すれば,環境省はチッソの分社化の開始時期については慎重であるべきであるし,事業再編計画の認可手続きにおいても厳格にその要件を吟味検討すべきである。

6.潜在患者の存在と権利保障

(1)不知火海沿岸全域において有機水銀の曝露を受けた水俣病被害者は10万人とも20万人とも言われており,未だかなりの潜在患者が存在していると思われる。昨年9月に未だ水俣病の被害を申告していなかった人たち1044人を対象に医師団の有志等によって行われた一斉検診では,受診者の9割以上に水俣病の可能性を示す症状が見つかった。国が「新たな水俣病の発症はない」とする1969年以降生まれの人や,救済対象地域とされた地域外の居住者にも多数水俣病特有の感覚障害が見られるなど,国が限定してきた年代や地域を超えて,広範囲に潜在的な水俣病被害者がいる可能性が指摘された。  不知火海沿岸全域の健康調査が実施されていない現状では,今後どれくらいの患者が名乗りを上げるか予測出来ない。かかる状況の中,3年という期間で救済対象者を制限してしまうことは,今後,水俣病被害を訴え得る潜在患者の権利を奪ってしまうことになる。

(2)また,救済措置の開始後3年を経過した後にチッソ自体が分社化によって消滅してしまえば,加害企業であるチッソに対して訴訟を提起することも出来なくなる。他方,事業会社に対して訴訟を提起しようとしても,特措法14条の規定により,詐害行為取消権や否認権等の権利を行使することも出来なくなり,民事訴訟による救済の途が閉ざされる。 さらに特措法7条1項4号は「補償法に基づく水俣病にかかる新規認定等を終了すること」とされており,認定申請自体も不可能になる事態も想定される。

(3)しかしながら,特措法3条は,救済及び解決の原則として「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること」と定めている。また同4条は,国等の責務として「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済され,水俣病の解決が図られなければならない」と定めている。
これらの規定から,特措法自体が,すべての水俣病被害者を救済することを基本原則として定めたものであると理解出来るのであり,特措法の分社化に関する規定の適用についても,すべての水俣病被害者の救済を基本原則として運用されるべきである。

(4)よって,救済対象者確定のための3年という期間(特措法7条2項)にこだわるべきでないし,期間制限を設けるべきではない。水俣病の被害を訴える患者がいる限り,救済の途を閉ざすべきではない。

さらに環境省は,環境大臣の事業再編計画の認可手続き(特措法9条2項)においては,すべての水俣病被害者の救済が可能となるような事業再編計画の認可の基準を定めるべきである。

7.認定患者特に胎児性認定患者に対する権利保障

(1)金銭的な側面における分社化の問題点  事業会社の売却益により,十分な資金が確保できるかは不透明である。事業会社の株式の売却益が思うように伸びず,認定患者への継続的補償が困難になるとすれば大問題である。

また,株式の売却益に左右されるような不安定な仕組みに認定患者補償を委ねて良いのかという問題もある。

(2)非金銭的な側面における分社化の問題点 認定患者特に胎児性認定患者はすでに50才を超えており,その多くは足腰の激しい痛みと歩行困難という症状の悪化という共通の新たな問題を抱えている。

また胎児性認定患者の介護はその両親が行っている例が多いが,両親自身も高齢化して十分な介護が出来ないという状況にあり,中には両親ともあるいはその片方が死亡しているという例も少なくない。胎児性認定患者を取り巻く状況は介護の面においても悪化しており,胎児性認定患者の殆どが将来についての強い不安を抱いている。

他方,胎児性認定患者を介護施設に入所させればそれで足りるという問題でもない。胎児性認定患者の多くは在宅介護を希望しており,これまでにも,介護施設に入所させたことで,かえって患者の福祉に反するような例も見受けられた。

このように認定患者に対して,一定の金銭給付を行ったからといって直ちに解消する問題ではない。非金銭的な補償,救済に関する内容については特措法では考慮の外に置かれており,真の救済が図られるのか大きな不安がある。

このような状況にありながら,チッソを分社化することはチッソが将来的に消滅する可能性を強く感じさせ,認定患者とくに胎児性認定患者に対し,より大きな不安を与えている。チッソのみならず,国,熊本県は関西訴訟最高裁判決によって水俣病の発生,拡大に関する法的責任が確定している。水俣病認定患者とりわけ胎児性認定患者においては,患者及びその家族の高齢化に伴って症状を悪化させ,介護の必要性がますます強くなっている。もとより,関西訴訟最高裁判決後平成18年度からは胎児性水俣病患者や小児性水俣病患者に対しては,国及び県の負担で地域生活支援事業が実施され,在宅介護等に関し一定の補助がなされているが,金銭の補助に止まり,毎年申請しなければ補助が出ないなど不安定であり,必ずしも十分なものとは言い難い。

現在,胎児性認定患者等の症状が悪化しているばかりか,患者を取り巻く環境が悪化している現状に鑑みれば,患者の治療及び訓練,社会復帰,職業斡旋,介護及び家族の福祉の増進等実情に即した具体的方策を定めることは緊急の課題である。特措法36条1項は,政府及び関係者に対して,地域住民の健康の増進及び健康上の不安の解消を図るための事業等に取り組むよう定めている。そして,同36条1項の「関係者」には分社化後の「事業会社」が含まれている。

このように,特措法36条1項が政府及び関係者が一丸となって地域住民の健康増進及び健康上の不安を解消するための事業に取り組むことを定めている趣旨からすれば,胎児性認定患者が安心して生活するための医療施設の充実,地域の中で暮らしていける介護,支援サービスの充実を実現出来るように,国,熊本県,鹿児島県はそのための予算措置を講じたうえで,チッソ株式会社と一丸となって最後まで責任を持って胎児性認定患者に対する福祉的措置に取り組むことが強く要請されるものである。

以上